車社会 運転がどうしても必要かなあ。。。

はい!
今日はこんなテーマです。

車社会という中で、果たして車なしの生活は送れるのか?

いやはや、これは都会に住んでいる人には少し意味不明なのかもしれません。

僕は下町(足立区)にいたころでさえ、車は持っていませんでした。

今住んでいる茨城は、昔から車社会と言われてきました。
それこそ一人一台(成人)って感じです。

なんでか?って職場に行くのに必要なのが一番かもしれませんね。

余談なんですが、僕の友達が多かった土浦市って街があるんですが、
もちろんみんな一人一台 移動はマイカー!
マイカー命!みたいなのが多かったですし、若いころの(24歳くらいまで)自分も
いい具合のアメ車なんだらに無理して乗っていましたが、、

一番関心的なのは、、

電車が嫌い(乗れない)という輩が多かったんですよ(@v@;)


電車乗れないって(@@;)って思いますよね。
なので、、例えば若いころその連中と 都内のライブなどに行くと、
わざわざ渋谷まで車で行くんですよ(@v@!!

さてそんな状況で、
一人の男がトイレに行きたい!
と言い出しまして、もうそのころは警視庁前でトイレなんて車を停める場所がないんですね。

これは困った いなかっぺたち、、、
おもむろに大工のひーちゃんが自分の呑んでいたコーラを捨てて、
「おめえ!これにしちゃえよ!」
って手渡したら ほんとにそれにしちゃった、、、

彼らはそんなハイリスクを冒してまでも、頑なに電車に乗るのを拒んだんです(意味不明)

さて、、話は逸れましたが、
先日、
買い出しウォーキング(&パシリ)で
案の定持って帰れない量なのでタクシーを呼んだんですね・
まあ、狭い茨城は、名前も顔も覚えるんで、、

タクシーのとっつぁんが
タ「あ~。川沿いの中村さんだよね? 結構タクシー使いますよね?」

自分「。。。ですね。車持ってないから。」

タ「はいはい・・珍しいですね?」

自「そうですかね?あ~。。そうかもですねえ☆免許はあるんですよ?」

タ「え~!じゃあ何で乗らないの?」

自「う~ん、、、慣れちゃったんですよ♪ 歩くのに。3年以上かなあ、、前に
免許1年停止くらって、、それからなんですよ☆」

タ「なんで1年なんです?」

自「それは、、まあ、話すと長いのであれですが、でもですよ?運転手さん!運動してますか?」

タ「いやあ、、笑 もうね、、しようと思っても だめだ!三日坊主でね!
すぐに足が棒のようになっちゃうんだもん!」(ちなみに60前?くらいのひと)

自「え~!じいさんになってみて、わかるんですよ!歩けなくなっちゃうと
寿命も縮みます!」

タ「あはっはは。。。。。  。。。。。  じいさんか。。。。」

自「・・・・。」

はい、こんな感じで最後は・・・・。になった出来事なんですが。

話は戻しますが、
僕はある事情で 自損事故を起こして、
誰も傷つけていないんですが、
免許を1年停止されました。
飲酒でもないですし、交通法を違反して、、などの罰金¥罰則のマイナスで
ではないんです。

なぜかというと、その事故に対して、不審な点が多いので、
精神科(県警が指定したところ)に

運転免許の適性診断

をしたほうがいい、、
という、その時に事故を起こした所轄の警察署からの判断なのか?あれで、
そういう風になったんですね、、、

おかしな話かもしれませんね。
でも、お酒も呑んでいない正常だとみなされる状況で、
その事故はあり得ない、、という判断がくだされたんです。

その、、、僕は当時正直申しますと、色々な事が(ブログでは少し書いてますが)あって、
精神的には病気だったと思います。
で、いついつのここの病院に診断(適性診断)を受けて、主治医(?)のOKがでたら
免許はそのまま、。、という具合です。

事故した当時 朝でしたが、そのまま車は放置で救急車~警察署で夜まで拘束されて、、
まあ、なんだか公務員に笑われたような記憶もありますが。

さて、その指定の(自分のかかりつけの病院ではだめなので)病院は茨城県の西部にあって、電車で2時間くらいなんです。

朝からの予約なので、その前の日にいってビジネスホテルに泊まりました。
そのころの自分は、精神科にも行き 正常な自分になっていたのですね。
(実際、でも病の時はすごい状態だったかもしれません)

朝、付き添いの私服の警察二人(男と女)となんでか合流(付き添い)します。
付き添わんでもいいのに、、仕事しろ って思いましたが、言いませんでした。笑

じいさん先生との往診までに2時間 3人で話す内容もこれとなく、、
まあ、、でも悪い感じの二人ではなかったのと、
多分、今はなしている限り、中村さんは大丈夫だね、、なんて
話していたので、、

いざ自分が呼ばれまして、そのじいさん先生に聞かれたことを素直に答えて、終わるかと思ったら、、、、、、

じいさん「ん~~、、一年乗らないでガマンしたら?」
って(@@;)
「え?」って3人が止まった感じが解りましたが、、、

でも逆らえない?不思議でした。一人の生活が懸かっているのに、
このじいさんの一声で 免許1年なくなるのかあ!(@@;)と。

もちろん警察二人は、、そうです、、か・・みたいなリアクションですな。

「なんでだよおめえ!」

・・・・なんていう歳でも状況でもありませんので、、
「あ、、、、、そうですか」と。

帰り際に二人の警察さんが、、
「ま、、、まあ、、意外だったね、、、  ・・・・
でも、、一年たったら免許もどるから!」

「。。ですね・・ はい。」(結局何しにきたのおたくら?って言いませんでしたが)

そのころから、僕の東京以来の徒歩生活が始まったんです。

家の母も病が原因で免許ははく奪された(じつは我々家族と‘‘‘‘‘‘‘が、、、そうしむけたんですが)

毎日 買い出しに行く生活。
都会と違い数キロは歩きます。暑いときも寒いときも。

でも。。。これは江戸時代の人(農民)がしていたのと比べたらまったく楽だ、、
と思いました。

生活の一部で歩くのと、生活のために一日40キロ歩いていた江戸時代のひとと
比べたらあれですが、

仕事の合間にそれをするって作業は、
僕は東京にいたとき以前からそうですが、取り入れていたことなんです。

車持っていても 土手に行って歩いたり走ったり、川沿いでストレッチしたりして、
心身の基礎体力(これは自分用語ですが)を保持して今まで来たんです。

なので、あの爺さん先生の一言も、、予想はしていたことなので、
別に驚かなかったんですね。
公務員のお二人は驚いていましたが、、

いざ免許が戻ってきた一年後の僕は、

当時の精神状態から更に改善された自分がいました。

そうです。精神疾患と思われていた あのころから
「歩く」ことを毎日行い、その歩く工程で、色々と自分自身、そして取り巻きのことを
いい意味で考えながらひたすら歩き、、

帰りは両手に重たいビニール袋を持って、、ひたすら歩く。

「あ~今日も訓練だなこりゃ。呼吸とか姿勢がよいと疲れないな、、」
「太陽の光を目から浴びたらいいって聞いたな」
「ここにこんな店あったんだ」

と、あまりこの土地でおいらくらいの年の男が昼間にこういう姿で歩いているのは
見たことないんですが、僕は日常なんです。

車に乗っている人から見た僕はどう映るでしょうか?

そのあと、数年たっても 僕は車はおろか、、自転車も持っていない・・・

先のタクシーのとっつぁんが言いました。
「自転車とか買えばいいじゃない?早いよ?」

「あはは、、、はやいですけど、、あれって運動にならないじゃないですか・便利だけど」

「はは、そうね・・・・・・・。」

要は、、、
考え方ひとつで
生活はできるという結論です。
でも
山の中やほんとにもっと田舎だと、、それはきついかもですね。
そういうところに好き好んで住むなら自給自足もありなのかもですが☆彡

池袋とか都心で 、、、
交通網が整っているところで
あえて車に乗って事故を起こしたなんとか国民さんが
非難をあの年でうけている。

じいさんになったら、、、
わかるんだ、、、

タクシーのとっちゃんも、歩いた方がいいのにな。

↑こんなんではなかったですが  笑

はい!
というお話でした(若干意味不明ですいません)

見て頂きありがとうございました(><)!!

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