与え続ける人生

見返りを求めることなく、与えること。
人生において、それは生まれ持った性格か、
もしくは育った環境によるものか、、
だと思いますが、

与えてもらう人間と
与える人間

に人間を分けることができると思います。

何をというのは様々です。
愛?お金?もの・真心・誠意・情熱・行動・労力・知恵・時間。。。。

どちらがお得?なんてことはないのですが、
大半が与えてもらうことに尽力しようとするのではないでしょうか。

私事ですが、今は亡き父が二人で酒を飲んでいた時に
「お前は馬鹿だなぁ!おれはどうやって楽して生きていけるかしか考えてこなかったのに。お前は苦労が好きなのか?」
というような趣旨の発言をしました。
確かにこのひとは、、その時も僕に頼って 母と転がり込んできた我が家での一コマでしたし、わりかし裕福な家柄の末っ子で育ち、仕事も友達たちと始めたので自由で、、
(しかしながら後に会社は倒産し 我が家は自己破産に陥ることになります。)
家庭は一切顧みない、僕ちゃんだった、、という印象が幼少のころからありましたので、、
なんでうちの両親って、、なんてよく小学低学年のころ 一つ上の兄とあきれながら話したものでした。
結局、大学生の車にひかれて早くしてこの世を去るまで、与えることを知らないまま、、の人生でした。

そのころの僕は精神的にも肉体的にもおおいにまいっていたのですが、
心の底ではなんで自分だけ、、という悲観的な思考が強かった半面
いろいろな本を読んだり 自問自答しながら

 

仕事以外の、、人生においての 生活においての仕事も
与えることを 気分のいいものだと感じられたら、、どんなに素敵なことだろう、、
と思うようになったのです。
そう、、自分磨き・訓練・成長・進化と捉えたら、、、最終的には自分のためにもなる。

 

嫌だなと思うことはもちろんあります。感情動物なので 怒りや不満もありますね。
でも行動は気分よく潔く。。。
そして相手の側になってみて考えたら、その苦労や時間も無駄なはなく、純粋に相手の
ためになっているんだし、、自分のためにもなる。
時間を、、労力を 精神的苦悩を奪われた、、と考えずに
ただ単純に「与える」んだ、、と。。見返りを求めずに
ただ与えれば 気分いいな、、となるべく心がけるようになりました。

月日がたち、、あのころの自分よりは少しは成長しているはずだと思います。
苦悩が減ったので。

そして誰かが言いました。
与え続けたものは、いづれにしても必ず自分に帰ってくる。
与えられ続ける人は、いつかたくさんものを失うことになる。
持てる容量は同じなのだから。

そこまで考えていませんが、きっと、希望とはそういうことなのかな、、とも思えます(・v・)♪

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