「物造り・ものつくり」をしている限り【先生】なんて呼ばれてはいかん。と思う【・3・】
「物造り」をしている限り【先生】なんて呼ばれてはいかん。と思う【・3・】
というタイトルです今回は。
毎回これをこの日に書こう!って決めて書いているわけではないので、
書いてみて、あ 今回はこの「カテゴリー」に入れよう‥と決めます。
私的に感じたこと、ジュエリー・彫金とはかけ離れているものは
つぶやき日記に入れてます【・3・】
さて、本題ですね。もう15年前くらいか、、当時土浦(茨城県)という所で
茨城では1~2番目の歓楽街である桜町という場所の近く(まあ駅の近く)の
裏手が墓で物件見たときに案内のおねえちゃんも
「私もここ初めて入る物件です。なんか部屋にお札が貼ってあるらしいです。。。」
とみる前から不安な事を言われたんですが、、その古い2階建てビルの一回テナントと
2階部分全部が一つの物件なので(住まい)上下で借りたんです。
一階が3万で、
・・確か2つ借りてくれるから2階も3万でいいですよって言われたらしく、合計6万の
格安物件に住んでいました。
一階は4店舗分あって 隣は若いガキ(ボンボンの輩)が親の金でバーみたいなの
深夜まで営業してて、まあたまに呑み行って楽しかったですけどね、、
話はその頃(前振りが長い) 取引先の路面店の28歳位のオーナー君が
ひとりのガキ(高校3年生)を連れてきた。 小さくておまんた分けの黒髪、、
織田裕二みたいな髪型といえばいいかな、、真面目そうなチェリーボーイ(だったそうだ)。
シルバーアクセが好きでその店の常連君だと、、あっそう。。って感じだったんですが、
好きだから作り手になりたいと、、専門学校に行く(日本クラフトなんちゃら)らしく
うちでも色々学びたい、、とのこと。
まあ、お世話になってるオーナーさんの頼み事を断るわけにもいかない、、
若い時分おいらも師匠に弟子入りみたいな形で(金払ってですが)色々教わった。
そういう流れで、暇なのか毎週土日必ず来るようになった。。。
友達と遊ばないのか?と聞いても
「同じ歳の友達と遊んででもつまらないんです!」
と小生意気な事を言うので、、
「それは同じ歳の子たち相手に年相応の遊びをやり切って 次の遊びを覚えたガキのいうセリフじゃないのか?笑」
といったら 黙ってしまったのを思い出します 笑
さて、、その子が専門に入っても土日は必ず来る。。。
その間に酒やパチンコや飲み屋遊びも教えてあげた。
こちらは授業料なんて一円も取らないんですよ。まあこれは以前書いたんですが、
それが当たり前の感覚になってしまったみたいですねえ、、、
普通、、金が発生するぜ?って話なんですけどね。
「うちの母が仕上げとか手伝っているのにお金くれないの?って言うんですが。。」
と気まずそうにでも言ってきたときには説教した、、。やれやれだ。
その子は、、何度言っても おいらのことを
「師匠!」と呼ぶ・・・・。
パチ屋に行っても、飲み屋に行っても「師匠!」と甘ったれた声でね、、、笑
「だからさ、もう2度を言わないよ? 師匠 じゃなくて 中村さん と呼びなさい!」と、、
アホみたいじゃないですが。他人から見たら なんだ師匠って?剣術の師匠か?ってね 笑
「恥ずかしいわ!おれは師匠だった人に 師匠ぅ!なんて呼んだことないぞ?
上野さん って呼んでいた・寺ちゃんもこれから社会人になるのにね、師匠なんて言ってたら笑われるからね?」
ようやく理解したらしく、恐れ多い感じから徐々に「ナカムラさん」と呼べるようになったチェリーボーイ(そこはいいだろ)。
おれの心の中で思ったことは、おれは師匠なんて呼ばれるのを望む気持ちになることは
一生ない!!ってこと。 先生って言葉も同じかもですな。
極めるってことがない、(と思っている)この世界において、先生やら師匠なんて
言われて鼻高くなってしまったらおしまい!って。
常に一生、、、学び発見し成長しないといけないのに、先生ぃ~~なんて若いガキに言われて喜んでいるレベルでは止まりたくないのですよ。
他人から。同業者から。お客様から。金属から。本から。。色々なところから感銘や驚きを受けて、それを自分の物にしないとなりませんね。そうしてやってきていたので、師匠なんてとんでもない!
今も変わらずそういう気持ちです。 グリムの中村先生です!なんて講演会があったらまず断る 笑
弟子というか教え子に教えながらも、自分で気が付く部分も多くあった。
一方通行の教えだなんて自分のためにならないので。
なのでそのチェリー君にはまず、遊びも教えてあげました。目線をなるべく下げて、、上げてもらう、、どっちにしても立場を近づけようとしました。
だからか、、最後の方は 来ても工房のソファーでジャンプ読んで過ごしている事があったので、
「工房にいる間は遊びで来るなら帰ってお友達と遊びなよ?」って優しく言ったら、来なくなったんですね。
最終的に2年後くらいかなあ。。学校卒業します(専門)位の時に挨拶に来ましたけどね。
気まずくて来れなかったみたいですが 笑 どうだっていい。
{ 来るものは拒まないし 去る者は追わないのが おいらです。}
先生って言われておかしくないのはお医者さんとか大学教授とかね。でもおれが医者だったら(なれませんが)。。
ドクターって言われたいなあ(日本では難しいのかな)。
バカな議員や小学生にもの教えている若い子たちが、先生って言われてそれを
喜んじゃったらもう 成長はないな。なんて思いますけどね・・・
そこに自分自身の学びはあるのかい? なんて思う。
怠慢で退屈な日常になっていないかい?
でも、、世の中にはそれこそ我が求めていた人生じゃあ!って輩も多くいるのが事実。
そしてこのような内容のブログもまた、正解なんてない。
{赤信号は止まれ}これは正解ですけどね 笑
ジュエリー・アクセサリーを作る職人も、これが正ってのがないと思う。
理想的だなって感じるのはあくまで相手様です。これが正しいという基準がない。
そういう世界ですので、、国家資格1級なんてのもないです。それがないと過ちだっていう法律もない。
だからこそ、常に創造力と想像力を磨き鍛錬し続けないとならない。ボクはそう思うんです。
経営もまた忍耐ですが、、それも終りがないですしね。。。定年退職万歳なんてない。
ま、これからの日本 それは期待しないほうがいい。会社員で安泰幸せ人生なんて、、
俺は嫌だし怖いですわ。
心が自由でいたいからか・・?おれはそういう役職じみた言葉で呼ばれたくない。
先生 師匠 社長 専務 部長とかね 笑
ひとりの人格として 中村さん 裕也さん っでいいじゃんか!
対等だぜ!なんでもこの世は。一歩社会に出て人間同士の付き合いをするんならね・・おれはそう思いますがね。
大臣!仕事しろ!って言われたら切ないよ~。笑
はい、
そんなオチですが、タイトルからぶれずに何とか書き終えたかな・。。笑
GRIM Works デザイナー職人:中村裕也 でした★
最後まで御覧頂き、誠にありがとうございました(>V<)!!
ではまた次回更新します♪
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